大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和46年(う)1042号 判決 1971年12月22日

被告人 宮崎久夫

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(控訴の趣意)

弁護人飯野春正提出の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

(当裁判所の判断)

控訴趣意第一点について。

所論は、原判決は、理由中「罪となるべき事実」のなかで、「右交差点は、左右の見とおしが悪く、右信号機が黄色の灯火の点滅を表示していて交通整理を行つていない状態であつたから、自動車運転者は、前記信号にしたがつてあらかじめ速度を調節し、右のように見とおしのきかない状況などに応じて交差点進入前に減速又は徐行して……危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務がある」と判示しているが、右のように一方で「交通整理を行つていない」といいながら他方で「前記信号に従つて」速度調節、減速徐行する義務があるといつているのは矛盾していて理由のくいちがいであり、また、「訴訟関係人の主張に対する判断」の項を参照すると、原判決は被告人の注意義務の根拠を黄色の点滅信号に求めているようでもあり(一1)、また、本件交差点が交通整理の行なわれていない左右の見とおしのきかないものであることに求めているようでもあつて(二の末尾)明瞭でないから、このように注意義務が明確に具体的に示されていないのは理由不備だというのである。

そこで、まず論旨の前段についてみるのに、本件の交差点のように一方の道路からの入口に黄色の燈火の点滅の信号他方の道路からの入口に赤色の燈火の点滅の信号が作動している交差点が道路交通法(以下「道交法」という。なお、以下に引用する条文は本件事故当時のものを指す。)にいう「交通整理の行なわれていない交差点」にあたると解すべきことはのちに控訴趣意第二点の二に対する判断として述べるとおりであり、そのことは車両等がこれらの信号の意味するところに従つて行動する義務を負うこととなんら矛盾するものではないから、原判決が本件交差点を交通整理の行なわれていない交差点であると判示しながら他方において被告人に黄色の点滅信号に従う義務を認めたからといつてそこになんら理由のくいちがいがあるとはいえない。それゆえ、この点の論旨は理由がない。

次に、注意義務の根拠が明確でないという趣旨の論旨の後段について考えてみると、およそ過失致死傷罪の過失の点を判決の罪となるべき事実の中に判示するにあたつては、注意義務の生ずる前提となる具体的事実とこれによつて認められる具体的な注意義務の内容とこれに違反した事実とを判示することを要し、かつこれをもつて足りると解すべきところ、原判決は、まず本件交差点の左右の見とおしが悪く、信号機が黄色の燈火の点滅を表示していて交通整理を行なつていない状態であつたことを判示し、注意義務としては、そのため自動車運転者としてはあらかじめ速度を調節し、右のように見とおしのきかない状況などに応じて交差点進入前に減速または徐行して右交差点内および左右道路からの他の交通に十分注意しその安全を確認して進行すべきものとし、次いで、被告人が早朝で交通閑散であることに気をゆるして漫然同一速度で同交差点に進入したことを過失行為として判示しているのであるから、その点の判示としては別段欠けるところはないといつてよい。もつとも、右の原判示によると、原判決が右のような注意義務を認めたのは本件交差点が交通整理の行なわれていない左右の見とおしのきかないものであるためか、黄色の点滅信号が作動していたことによるのかがやや明瞭でない嫌いはあるけれども、原判決の「訴訟関係人の主張に対する判断」の項をあわせてみると、原判決はその双方を原判示注意義務の根拠と考えていたものと解することができるのであつて、かように考えることの実質的な当否はのちに述べるように問題のあるところではあるが、そのように考えたからといつてそこに別段論理的な矛盾があるわけではないから、この点をとらえて理由のくいちがいないしは理由不備をいうことはあたらない。それゆえ、この点の論旨も理由があるとはいえない。

控訴趣意第二点の一について。

所論は、黄色の点滅信号から直接減速徐行の義務を生ずるかのように解する原判決には、道路交通法施行令(以下「道交法施行令」という。)二条の解釈適用の誤がある、というのである。

そこで、考えてみるのに、道交法施行令二条一項によれば、黄色の燈火の点滅の信号の意味は「歩行者及び車両等は、他の交通に注意して進行することができること。」であるというのであるが、もともと歩行者および車両等が他の交通に注意して進行すべきことはこのような信号をまたないでも当然のことなのであるから、右の信号は、その信号機の設置された場所においては特に他の交通に注意する必要が大であるところから、歩行者または車両等に対し特にその点の留意を促す以上の意味をもつものではないと解するのが相当である。それゆえ、本件においても、被告人に徐行、左右の安全確認等の注意義務があるとすれば、それは本件交差点の状況その他に基づいて生ずるのであつて、黄色の点滅信号のもつ意味そのものからかように注意義務が発生するわけではない。したがつて、原判決がこの信号に特段の意味があるかのように解し、これを被告人の原判示注意義務の一つの根拠であるとしたのは前記施行令二条一項の解釈を誤つたことになること所論のとおりである。しかしながら、本件においては、当該交差点が道路交通法四二条に該当する交差点であつて被告人に徐行義務があることは次に説示するとおりで、原判決はそのことをもあわせて判示し結局右の徐行義務違反を被告人の過失と判断しているのであるから、原判決が黄色の点滅信号をも被告人の注意義務の論拠として判示したのはひつきよう無用なことを判示したものにほかならず、この点の法令解釈の誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかなものとはいいがたい。それゆえ、論旨は理由なきに帰する。

控訴趣意第二点の二について。

所論は、原判決が黄色の点滅信号を「交通整理を行なつていない状態」であるとして道交法四二条の適用があるとしているのは、法令の解釈適用を誤つたものだ、というのである。

しかしながら、道交法にいう「交通整理」とは、信号機の表示する信号または警察官の手信号等により一定の時間は一方の道路を自由に通行させその間他の交通を停止することを交互に反復する措置を指すもので、これを通行する者の側からいえば、信号により通行が認められる間は他の交通を顧慮することなく進行することができる場合が交通整理の行なわれている状態であると解すべきであり、これに反し、たとえなんらかの信号が存したとしてもなおかつ無条件に進行することの許されない場合、たとえば交差点内の他の交通との優先順位等につき判断したうえ進行することを必要とするような場合は交通整理の行なわれていないものとして道交法三五条、三六条等の規定の適用を認めるのが相当である。ところで、本件の交差点のように一方の道路からの入口には黄色の燈火による点滅信号が作動し、他方の道路からの入口には赤色の燈火による点滅信号が作動している交差点においては、他方の道路から来る車両等は赤色の点滅信号の表示するところに従いその直前において一時停止の義務はあるものの、一時停止したのちはさらに状況に応じて発進し交差点に入ることができるのであり、黄色の点滅信号のある道路を来る車両等は他の交通に注意しつつ進行することができるわけであるから、当該交差点における両者の優先関係については依然調整を必要とするのであつて、これはまさしく道交法三五条、三六条の予想する状態であるといわなければならない。すなわち、右のような交差点は道交法にいう「交通整理の行なわれていない交差点」にあたると解すべきであるから(最高裁判所昭和四三年(あ)第二六〇〇号同四四年五月二二日第一小法廷決定、刑集二三巻六号九一八頁参照)、論旨は採用することができない。

控訴趣意第二点の三および第三点について。

所論は、本件の交差点が交通整理の行なわれていない交差点であるとしても、被告人の進行した国道の幅員は一一・三六メートルであるのに対し、相手方車両の進行した県道幅員は六・六〇メートルであり、交差点の手前二五メートルないし三〇メートルの地点から一見しても被告人の進行道路の幅員が明らかに広いから、被告人には優先通行権があつて徐行義務はない。それゆえ、被告人に徐行義務を認めた原判決には事実誤認または法令の解釈適用の誤がある、というのである。

本件の交差点を交通整理の行なわれていない交差点と解すべきことはすでに述べたとおりであり、また、一件記録および当審における事実の取調の結果によれば本件交差点は被告人の進路から見て左右の見とおしのきかないものであることは明らかであるが、もし被告人が進行した道路(以下「国道」という。)の幅員が被害車両の進行してきた道路(以下「県道」という。)の幅員よりも明らかに広いものであれば被告人の運転する車両に道交法四二条による徐行義務のないことは所論のとおりである。そこで、国道の幅員が県道の幅員より明らかに広いといえるかどうかを検討してみるのに、道交法一七条三項によれば、同法第三章にいう道路とは歩道と車道との区別のある道路においては車道を指すものであるところ、同法二条三号によると、車道とは車両の通行の用に供するため縁石線またはさくその他これに類する工作物によつて区分された道路の部分をいうとされている。ところで、一件記録および当審における事実取調の結果によると、本件の国道上にはその左右の路端近くに長さ約〇・六メートル、幅約〇・一八メートル、高さ約〇・二メートルの長方形のコンクリートブロツクが約一・三五メートルの間隔を置いてそれぞれ一直線に設けられているのであつて、このコンクリートブロツクはその形状・大きさからみれば車両の通行の用に供するための区画に使用した工作物にあたることが明らかであるから、右コンクリートブロツクの内側の部分を車道とみるべきであり、他方県道については、その左右に白線が引かれてはいたけれども、当時の道交法からいえばその白線は別段歩車道を区別する意味を有していたわけではないのであるから、この二つの道路の幅員を比較するにあたつては、国道については、前記車道部分、県道についてはその全体の幅員を基準として比較せざるをえないのである。そうしてみると、国道の車道部分の幅員は七・九〇メートルであり、県道の幅員は六・六〇メートルであるから、この客観的数値からみれば国道の幅員が県道の幅員より客観的にかなり広いとはいいがたいばかりでなく、なお原審の各検証調書および当審においてさらに念のため現場を検証した結果によつても、国道上の交差点の手前二、三〇メートルに接近した地点から見てなおかつ国道の幅員が県道のそれよりもかなり広いと一見して見分けられるとはいえない(最高裁判所昭和四四年(あ)第八七八号同四五年一一月一〇日第三小法廷決定〔刑集二四巻一二号一六〇三頁〕は、「道路の幅員が明らかに広いもの」とは一定の地点において通常の自動車運転者がその判断により道路の幅員が客観的にかなり広いと一見して見分けられるものをいうと説示しているが、これは、まず客観的にみて交差する道路相互間の広狭の差がかなりあり、しかもそのことが通常の自動車運転者にとつて一見明らかな場合をいうとの趣旨に解されるから、明らかに広いかどうかについては、道路相互間における客観的数値の比較がその判断の前提として重視されなくてはならない。)。それゆえ、原判決が被告人には本件交差点の手前で徐行する義務があると判示したのは道交法四二条の解釈上正当であつて、この点の論旨も理由がない(なお、原判決は前に引用したように「減速または徐行」の義務があるとして、徐行に至らない減速でも足りるように判示しているけれども、以上述べたように道交法四二条の適用がある以上は必ず徐行すべきものであるから、原判決にはその点に誤りがあるといわなければならない。しかし、原判決は徐行義務をも認め、しかも被告人が全然速度を減ずることなく交差点に進入したことを過失とみているのであるから、右の誤りは判決に影響するものではない。

控訴趣意第二点の四および五について。

所論は、被告人の進行してきた国道は幹線道路であり、交通量も県道に比し極めて大きく、県道上には赤色の点滅信号があるのであるから、一時停止の信号を無視して高速度のまま交差点内に進入してくる相手方車両のありうることまでも予想して進行すべき業務上の注意義務は被告人にはないものというべく、かりに被告人にその際徐行義務があつたとしても、それは直接事故発生の原因となつていないのであるから、被告人に過失ありと判断した原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤がある、というのである。

しかしながら、交差点における車両の通行方法については道交法に諸種の規定が設けられているところ、同法はその点につき道路が国道ないしは幹線道路であるかどうかまたは交通量の多寡などを直接その要件とはしていないのであるから、交差点を通行する車両の運転者としては、そのことにかかわりなく、もつぱら道交法の規定の定めるところによつて行動すべきことは当然である。そして、道交法のこれらの規定は、もともと交差点における事故の発生を防止することを目的として設けられたものであることにかんがみれば、その際特段の事情があつてむしろ法の命ずるところと異なる行動をとることが事故防止のために必要であるような場合を除いては、道交法の定める義務は同時に事故発生を防ぐための注意義務にもあたるわけであり、もしこれに違反した結果人身事故を発生させた場合には、予見可能性の認められるかぎり、過失致死傷罪の責を免れることができないというべきである。ところで、本件交差点についてみると、それは前に説示したように交通整理の行なわれていない左右の見とおしのきかない交差点で、国道のほうには黄色の点滅信号が、県道のほうには赤色の点滅信号が作動していたのであるから、国道を走つてきた被告人の車両は道交法四二条の定めるところに従つて交差点の手前でまず徐行したうえ、その状態においてもしすでに他の道路から交差点に入つている車両等(同法三五条一項)または左方の道路から同時に交差点に入ろうとしている車両(同条三項)があるときはその車両等を優先して進行させるべきであり、また県道を来た被害車両は、赤色の点滅信号に従つて交差点の手前で一時停止したうえその状態で右のような措置をとるべきであつたのであつて、このように両者にそれぞれ一定の義務を課することによつて事故の発生を防止しようというのが道交法の趣旨とするところだと考えなければならない。つまり、この場合双方に対し徐行または一時停止の義務がそれぞれ課せられているのは、交差点内における車両通行が法の定める優先順位に従つて行なわれ衝突事故などの発生することのないようにするためなのであるから、その一方だけが義務を果たせば他方はこれを守らなくてもよいというようなものではない(原判決は、信号を無視し一時停止をしないで交差点に進入する車両も現実にありうるのだから被告人にも徐行義務が免除されないように説示しているけれども、このようなことは信頼の原則の適用を排除する理由となるものではなく、むしろ右に述べたように双方にそれぞれ義務を認めることに十分な意味があると解すべきである。)。それゆえ、この場合においては、他方に一時停止の義務があることを理由にいわゆる信頼の原則を援用して自己の徐行義務を否定することはできない筋合いで、このことは右の原則がもともと注意義務の適正な配分に関するものであることからみても明らかだと思われる。信頼の原則は、被告人が徐行義務を守つた場合においてはじめて適用をみるものなのである(最高裁判所昭和四三年(あ)第一六二九号同年一二月一七日第三小法廷判決、刑集二二巻一三号一五二五頁参照)。この点に関し、原判決が被告人に過失があつたから信頼の原則の適用がないと説示しているのは、「過失」の語を用いた点に妥当を欠くものがあるけれども、その意は被告人に法規の定める義務違反があるからという趣旨のものと解されるから、ひつきよう以上に述べたことと同旨に帰するもので、正当だといわなければならない。

ただ、被告人に道交法上の義務違反があつても、それが事故との関係上間接なものであるにすぎないときは必ずしも信頼の原則の適用を妨げるものでないことも幾多の判例の示すとおりである。しかしながら、すでに述べたように、本件における被告人の交差点直前における徐行義務は、交差点内における円滑な通行の不可欠の前提をなすもので、交差点内における衝突事故と直結するものということができ、単に間接な関係に止まるものではない。これを本件で現実に発生した過程についてみても、被告人は、徐行しないで時速約五〇キロメートルのまま進行した結果、交差点中央から南方約一〇メートルの地点に達した際、右方県道上を同交差点に向つて進行する吉沢和夫運転の普通乗用自動車を右斜め前方約一五メートルの地点に始めて発見し、急制動をかけたが、間に合わず、右交差点中央付近で自車前部を右普通乗用自動車の左側部に激突させているのであつて、県道上には赤色の点滅信号があつたのであるから、一時停止を怠つた吉沢の過失は大きいといわなければならないが、被告人も徐行して交差点に臨んでいれば当然本件事故を十分回避しえたものと判断されるから、その徐行義務違反が直接事故の一因となつていることはとうてい否定しがたいのである。すなわち、本件事故は吉沢の一時停止の注意義務違反と被告人の徐行義務違反との競合によつて生じたものといわざるをえず、この場合に信頼の原則を適用して被告人の過失を否定すべき理由は存在しない。したがつて、原判決にはその点に関し判決に影響を及ぼす法令の解釈適用の誤があるとはいえないから、この所論もまた採用することができない。

以上の次第で、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用につき同法一八一条一項本文を適用して、主文のとおり判決をする。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例